あれから一ヶ月程経った晩夏のこと。
蜩が遠く啼く、そんな夕暮れのことだった。
突然お母さんの大声が聞こえた。
何かと思い声のする方へ行って見ると、お母さんが爺ちゃんの肩を揺すっていた。
眠っているのか、爺ちゃんは縁側で横になっている。
私はその光景が何を意味するのか、その時理解出来なかった。
布団に横たわる爺ちゃんは、皺だらけでも肌がとてもキレイだった。
微々とも動かないその姿は、まるで死人のようだった…。

 医者の往診を一週間程続けたある日のこと。
今日も医師が爺ちゃんの脈を計っている。
でも今日はいつもと様子が違う。
ほんの数分で終わる脈取りが、今日は随分と長い。
そして、爺ちゃんは機巧(からくり)の様に寝ている首を回した。
こちらを向いたその目からはもう、輝きが消えていた。
「薬師さん…世話になりました…。
江都子さん……律子を頼みました……。」
律子……幸せにな……儂はいつでもお前さんの側にいるでな……。」
爺ちゃんの最後の言葉だった。
医師は脈取りを止め、腕に嵌めた白銀の時計を見る。
午後五時四十分。
真っ白な布きれが、爺ちゃんの皺だらけで笑った顔に掛けられる。
そして医師は合掌した。
お母さんは白い布きれを見ていると思ったら、わっと泣き出した。
私も、自然と涙が流れ落ちるのが分かった。
西日に照らさた暗い室内で、蜩の鳴き声が近く聞こえてくる。
仕舞い忘れの風鈴が、風に揺られてチリンと鳴った。
涙を堪えようと、天井を見る私。
そこには、あの蔵で見つけた本のクダギツネが円を描くように回っていた。
白がかった体毛をなびかせて、グルグルと回っていた。
そして乾いた土の臭いがしたと思ったらそいつは既にいなくなっていた。
お母さんや医師には見えていないようだった。
私は、爺ちゃんの冷たくなった体の上で、思いっきり泣いた。

             

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