神祀リノ邑 報告書(五)

      (九月六日)

 酉竈の脱走事件を調べた後、俺は現地にフィールドワークにやってきた。
東京から遥々五時間車を飛ばし、やってきたこの地。
古い民家だけが残るこの寂れた村。
かつてのあの三村から最も近いと言われる現代まで残る村。
この村も江戸時代から残る古い村である。
矢那沢(やなざわ)村と言う名前の村で、人口は僅か数百人程度しかない。
山々を縫うように公道が走り、外界との交わりを絶つかのような立地。
交通の便の悪さは、今も昔も変わらないようだ。
村に着くなり村の入口に安置された道祖神群には、圧倒された。
外界の邪気を村に寄せ付けない為の道祖神であるが、その数故外界との交わりすら絶つという雰囲気も感じられた。
この辺りの村は本当に外界からの来訪者を拒んでいるのだろうか。
車で狭い公道を走ると田畑の他には数軒の民家。
所々に残る茅葺き屋根の家が、俺にとってとても新鮮だった。
そして見かけた人間といえば農作業をする老人ばかりだった。
若い人は全く見かけなかった。
俺は一軒家程の広さ村役場前に車を止めると、役場に顔を出した。
役場にいたのは三人の男達、年の頃は皆五十前後といったとこだろうか。
訝しげな目つきで俺をみつめる男達。
やっぱりこの村は来訪者をあまり歓迎しないのだろう。
俺はそれでも何とか事情を説明し、この先の嘗て存在していた三村について情報を聞き出す。
それを聞くなり彼らは顔を見合わせ、渋い顔をした。
この村でも今はもうあそこへ立ち入る者はいないらしい。
最寄のこの村も、あの三村とは関わりは少ないらしく、これといった情報は殆ど得られなかった。
ただ一つ、得た情報の中に実に興味深い情報があった。
当時の三村を事実上支配していた柳生(やぎゅう)家と云う一族がいたらしい。
詳細は聞き出せなかったが、彼らが儀式に関係していることは間違いなさそうである。
俺は静かな矢那沢村を後にし、嘗ての三村のあった場所へ向かった。

             呪禁ノ刻(壱)
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