神祀リノ邑 報告書(四)

      (八月二十五日)

 あれから俺は県立図書館で調べを進めていた。
すると更に興味深い事実が浮き彫りになってきた。
先に述べた生贄の失踪事件が起きた年から遡ること三百年余り。
儀式が行われるようになってまだ十数年しか経っていない頃のことである。
酉竈村においても、生贄が脱走したことがあったそうだ。
経緯については定かではないが、それが儀式始まって以来の最初の脱走事件らしい。
最初に、と言うように他にも何度も脱走事件はあったようである。
けれどもいずれも失敗に終わっている。
今回の脱走事件も、最終的に見つかってしまい、儀式が執り行われた。
資料によると与一郎という男が儀式の生贄の少女を助け出そうとした。
けれどもすぐに脱走がばれ、翌日に村の男達に捕まってしまった。
捕まった少女はその場で着衣を脱がされ、破瓜の鮮血を採取された。
その真っ赤な鮮血は、祭壇に捧げられ、そして少女は池に沈められた。
そして与一郎の方は、その少女の目の前で斬首刑にされたという。
何とも惨い話だが、これが村の繁栄を支え続けてきた儀式なのである。
数百年に及ぶ儀式の中で、一体どれくらいの少女が犠牲になったのだろう。
そう考えると、儀式への疑念は現代人の俺にも浮かんでくる。
果たして儀式の真意が見出せるのはいつのことだろうか。
儀式に捧げる生贄の少女が、俺には不憫でならない。
少女、という点にも儀式の本質の一部が垣間見れる。
穢れの無い少女、つまり処女が神への捧げ物とされる。
それに加え、初潮を迎える前の少女でなければならない。
そしてその少女が初めて流す血、つまり破瓜の鮮血は、神の最高のご馳走なのだそうだ。
生贄の奉納の仕方は三村其々異なるが、いずれも生きたまま捧げられる。
生贄の死と同時に、村の栄華は約束される。
これが現実に行われていたのだから、恐ろしいものである。


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