神祀リノ邑 報告書(二)

      (八月十四日)

 調べを進めていくうちに、次第に儀式についての歴史が見えてきた。
この三村の儀式は、実に今から四百年以上も前から行われていたらしい。
江戸時代よりも前のことである。
当時の混乱の中で、安息地を求め山奥に移り住んだ農民達がいた。
その農民達がこの地に村を形成したのだと云う。
でも最初から三村が形成されたのでは無いようだ。
一番初めに先ず神代村が出来た。
そして次に三十年程してから八角村が出来た。
それとほぼ同時期に酉竃村も形成されたと云う。
詳しい年代は分からないが、恐らく江戸幕府が誕生するよりも前にはもう三村は形成されていたことは間違いない。
そして其の頃から民俗信仰として神を崇めていた様である。
地元の資料館に、今尚残る当時の儀式に使われた道具が遺されている。
資料館の話はまた後日改めて記すとして、儀式は村が形成されてから暫く時を経てから行われるようになったらしい。
と云うのも、記録に残されている限りでは儀式が初めて行われたのは今からおよそ四百三十年前。
そしてこの地に農民が移り住んだのはおよそ四百八十年前であると云う。
八角村酉竃村が出来たのがそれからおよそ三十年後なので、儀式が始まるまでには二十年のブランクがある。
この空白のおよそ二十年間が今の俺の最大の謎でもある。
正確な年代が不明なのでこの空白の期間もおよそ二十年としか云えない。
けれども、何年かは空白の期間が存在するのである。
この空白は何を意味するのか…。
作為的なものなのか、偶然のものなのか…。
俺にはこの空白は作為的なものに感じてならない。
謎の多き神祀りの村々。
この謎も分かり次第追記していく所存である。

             忌祓ノ刻(伍)
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